ミニマリストへの旅路・後編 〜留学とコロナ禍がもたらした財産〜

2020年2月、留学を終えて帰国した直後の私を待ち受けていたのは、世界を一変させるパンデミックだった。外出は最低限に制限され、たまに足を運ぶ場所といえば、人影のない静謐な大自然くらい。ここで腐っては何にもならないと思い、瞑想やヨガに取り組みつつ、再び英語を学び始める日々が始まった。さらに、通信制大学への編入も重なり、私の生活は「勉強」と「運動」に一気に舵を切った。だから、集中するために不要なものを手放す——そんな決意が自然と固まっていったのだ。

↑ 家から通える大自然に癒された日々。

断腸の思いで別れを告げたのは、15歳からの10年間と総計200万円を注ぎ込んだ、大切なヴィンテージのアメリカントイたち。喜びも涙も共にしてきた彼らを手放す決断は、最後まで難しかった。

それでも、かつての自分がそうだったように、この子たちを待っているコレクターの方がいる。段ボールに詰められて日の目を浴びない暮らしをするには価値がありすぎる。そう思い、一つ一つ丁寧に取り出して撮影し、キャプションを書いて、順番にフリマアプリへ出品していった。するとすぐに通知が飛んできて、こちらの言い値で購入されるとともに「ずっとこの子を探していました」というメッセージが次々に届いた。自分のしていることは間違っていないという確信を得て、行き先が決まった子達を丁寧に梱包し、手書きのメッセージも添えた。粗方旅立ちが終わった頃、捌ききれなかった細々したものは懇意にしていたおもちゃ屋さんにまとめて買ってもらった。

そうしてすべてが去った後、空っぽの部屋に座り込み、解放感と共に押し寄せた喪失感に涙した。三日三晩泣き続け、それでも、この痛みを抱えて、「前へ進む」という覚悟だけは確かに芽生えていた。

↑ 出品したおもちゃたちの一部。私の青春を支えてくれた宝物たち。

寂しさを飲み込み、徹底した内観に呼応するように、地球は「風の時代」へと移ろう。シェアやクラウドが加速し、「所有」から「共有」へのシフトは、固まりつつある私の価値観にまさしく合致していた。結果として手に入れたのは、現在へとつながる語学力と引き締まった身体、そして大学の卒業証書だった。

↑ 筋トレに励んでいた頃。身体が薄い!

その後、コロナ禍が明けると共に実家を離れ、しばらくは移住生活を繰り返した。引っ越すたびに洗練されていく荷造りは、「足し算」から「引き算」へとアップデート。かつては“自分らしさを彩る空間”に執着していたが、今では“自分の痕跡を消す空間”に美を見出すようになったのだ。

数ヶ月おきの転居を経て、最終的には東京でのシェアハウス暮らしへ。4.5畳というコンパクトな空間は、ミニマリストとしての到達点だった。一年ほどで体調を崩し地元へ戻ることを決意したが、退去から帰省まではわずか一週間。必要最低限をスーツケースとリュックに詰め、新幹線に揺られて帰郷した。この見切りの速さは、やはりミニマリストでなければ不可能だ。

↑ 二度目の東京を過ごしたシェアハウス。小さな空間でも快適に暮らせる自信を得た。

現在は再び実家に身を寄せているものの、「自分の部屋」と呼べるスペースはない。だがそれこそが、今の心地よさ。どこにいても、必要なときにすぐ旅立てる。そんな軽やかさが、私にとって何よりの財産になった。