今となっては見る影もないが、およそ20年前—憧れの存在に影響された15歳の私は、80-90’sのアメリカントイコレクターだった。アメトイはただ集めるだけでなく、可愛く飾るまでが美学。ブームになる前のInstagramに、コレクションや部屋の写真を投稿していた。顔出しはせず、ハンドルネームで運用していたアカウントは、フォロー200人に対し、数千人のフォロワーを誇った。時は2015年、「インフルエンサー」という言葉が、今ほど一般的でなかった時代のことだ。
また、触れるものすべてがコットン・キャンディー色でないと気が済まなかった当時は、服装も完全に原宿ガールだった。
↑東京時代(初回)の自室。雑誌の取材を受けることもあった、まばゆい空間♡
↑アイスクリーム柄のワンピースを着て原宿に通った頃。
時は過ぎ、25歳でチェコへの留学を決めた私。愛おしいコレクションたちは、しかし海の向こうへ持って行くことは不可能だ。やむなく箱詰めして実家に保管してもらったが、デッドストックのおもちゃたちはカビや変形の恐怖と隣り合わせ。留学中も心配は尽きなかった。
一方で、現地でも古着屋巡りに夢中になり、ヴィンテージのぬいぐるみをついつい買い足してしまう日々を送る。また、チェコの人々の「ものを大切にする」精神に触れ、物をただ増やすことの虚しさをも知った。古着への愛は変わらず、特別な日に着るヴィンテージワンピースは今も大切にしている。
↑当時住んでいた部屋にて。ぬいぐるみに囲まれて嬉しそう。
↑チェコの古着屋で、約500円で手に入れた水玉のワンピース。ずっと宝物。
そして、あっという間に迎えた帰国の時。食品は計画的に消費し、使えるものは人に譲った。留学生活の終わり、帰りも来たときと同じ、スーツケース1つとリュック1つで空港へ向かう。集めたぬいぐるみだけは、実家へ別送した。
留学中のことを思い返すと、最低限の荷物に加え、調味料や調理器具を買い足しても段ボール1箱に収まるモノの量で何不自由なく暮らした。学生寮から間借りの家に移るときは、Uberを呼んで引越は終了。あまりにも身軽で、その心地よさを知ってしまった。
それでも、おもちゃへの愛は変わらず—帰国後は、しばらく葛藤の日々が続く。それでも、その二律背反に揺れながら、私は少しずつミニマリストへと歩みを進めていくのだった。